ダダダダ

あれ、ダダダダぁーと、それであれがこれでな!でこうよ。

自分を愛するためには?

羽田、美しい夕焼けの日を浴びて考えました(また難しいことでございます)。

 

自分を愛するためには?

 

年齢を重ねるとに嫌味っぽくなったり、小さいことで怒り憎み恨むことが多くなった気がする。

 

自分も周囲の人々も。

なぜなんだろうか考えた。

自分を愛するチカラ「自愛力」が欠如しはじめたからでは?と思った。

これには結構根拠が無い。

単純に「嫌われる勇気」を読んだときに思った違和感である「自分を極めていく過程で相手に対してどう変わっていくか?」を突き詰めていった脳内出力である。

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20年来の付き合いがあるワタシの同僚(40代後半)も年齢を重ねるごとに変わっていった。

口を開くと他人への恨み妬み僻みであり、ワタシが褒めたとしても「それは嫌味ですか」と嫌味で返してくる。そして「昨日こんなことを言った」「昔、こんなことを言われた」などと嫌味→恨みに変えて会話してくる。

昨日の晩御飯も忘れるようなヒトがである。

 

とても勉強になる。

 

ものすごい逸材!

絵に書いたようなワタシの探していた理想像(被検体)である。

 

ー嫌味恨み妬みの権化である同僚を観察していてわかったことー

163cm100kgほどの巨漢で、服装や見た目にこだわりが無い。

(100kgと言うと「98kgです!」とキレる」)

何故か財布だけにはこだわりを見せる(白の蛇革長財布)。

 

自己の外観を愛せていないと見て取れる。

 

幼少期に両親が離婚、それも血縁内の揉め事での離散だったらしい。

家族からの愛も欠如していた可能性がある。確実に言えるのは父の愛は受け取れていない。

 

周りの目、音、雰囲気を察知する能力が異常に高い。

思春期イジメにあった方に多い傾向の動作であり、実際に会話してみるとやはり高校時代に年単位でハブられていたらしい。

 

学業は順調だったが就職先が中小企業だったために学友と待遇・賃金の差がある。

友人を比較対象にしての価値観で年齢を重ねてきた。

 

あとは彼女も結婚もしておらず子供も居ない。

あらまっ、でもこれは現代では普通か。

趣味はパチンコ・釣り・アニメである。

あぁぁぁ・・・

 

書いて再度思った。「これは仕方がなくないか?」って「この状況で自愛しろとは無理です」とシミジミ思った。

 

ただ、こんな絶望的な状況の同僚ですが、唯一の救いは「愛嬌がある」のです。

誰にでも愛されるキャラであり、見た目も醜悪な生き物ではなくマスコットキャラ的な親しみやすいフォルム。

周りに調整されてきた知性があるので会話のボケツッコミがキチンとできる。

思春期のコロコロした子供を見ているような可愛さ、愛嬌と言えば伝わるだろうか。

 

この自愛出来ない権化からなにを学ぶか?

 

自愛が出来ない人間は相手の感情に行動が左右されやすい傾向

 

自愛出来ない人間は他人に対しても不満が多い傾向

 

自愛出来ない人間は自分に対して自信が無いので行動が制限される傾向

(自己の意思で自由に動けない)

 

ここまで読んで皆思いませんでしたか?

「痩せて、体を鍛えるだけで、性格が少しかわるのでは?」

それが「自愛力UP」なんじゃないかと思った。

 

他人に振り回されず、外乱に心を乱されず、比較を捨て去り、自己の形が正しいのだと認識し、相手に何も求めず、存在だけで周りになにかを与えられる人間。

それが「自愛出来る人間」

自分の存在を受け入れ、受け止め、変え、適応し、何に対しても前向きに笑顔でいられる自己中心的な考えの人間になれたら、たぶんですが嫌味や妬み、怨みを考えなくなるのでは。

 

2026年の流行語は「自愛」(たぶん)

 

ワタシの考えではあの世界宗教での「汝、隣人を愛せ」と真逆な考えに見えるが違う、「汝、隣人を愛す前に自愛せよ」となるのだ。

自己の身体、自己の思想、自己の生病老死、自己の欲求、自己の行き方をすべて認め、愛せることこそ隣人を愛せる、影響されない一番の近道なのでは?

 

「それだと意見の対立が出てくるのでは」

意見(思想)とは「真理」であり、真理とはどんな考え方にもあてはまり、答えを出すための自分が正しいと認識するための方程式であり、反対意見に屈服しない間違いのない理(ことわり)であり、それを確かめるために、正しいと判断するためには他人の意見を聴いて、噛み砕き、内省し、消化しなければならない。

恐ろしく崇高で難易度が高く、一生かけないと到達できない「頂」が自愛なのかもしれない。

それは時間とともにドンドン自分を愛せなくなってきているワタシの体験から急ぐ必要があるのと「老化しても自愛可能な普遍的な行動規範」を作成すべきと考え、ここに記す。



「自分のことが好きですか?」

 

「はい!」

 

そう答えられる未来には愚痴や嫌味、妬みや怨みも心の中には無く、自己以外に対しての比較や欲望も欲求も制限もしなくなる。。。。んじゃないかな?(仮説)

 

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自分を愛するってなによ?

 

自愛とは具体的に端的に言うと「自分に自信があるか?」になるのではないか。

・・・これは難しい。そして果てしなく広い。

大項目だけでも上げてみると

ー自分の外観、自分の内面、自分の心、自分の健康、自分の精神ー

 

理想の自分になれるのであれば「自分を愛している」と言える。

・・・それって一生無理じゃないか。

言葉では簡単だ。

理屈をこねるのも簡単、考えを言うだけなら簡単さね。

「自愛力」をUPする為の、実行する行動規範はどうしたら良いのだろうか?

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どうやったら自愛出来るのか?

※自分とは心技体の中心であり、関連性が出て同義の定義がなされるが、かぶるのは仕方がない。

 

ー外観ー

清潔感

自己表現

身体的特徴への解釈

所作(心にも繋がる)

 対話での所作

 行動時の所作

 

ー内面ー

 

ー関わりー

 

・・・あぁワタシには無理。

これを結論つけて書き出せるのであれば自己啓発本が書ける。

これは個々で考えるべきだ!(なげっぱなし!)

 

とりあえずは朝ごはんを食べられて、排便出来て、何事もなく過ごせて、一回笑顔、一回感謝、一回一回自分を褒めてみることから始めようか。