
朝の静寂に映える桜
とても静かなことが伝わるだろうか?
この春、桜の写真を色々な場所で撮ったんですが「ウルサイ」写真ばかりなのです。
写真から音が出ているわけではないのですが、画像から色々な雑音を感じるものばかりになってしまって、あまり気に入ったものが撮れない。
雑音、音を感じる画像
なぜそう思うのだろうか?
ヒトが写って活動していると、どうしても音を感じてしまう。
動いているものが写りこむと音を感じてしまう。
寄りすぎると生命の音を感じてしまう。
動的に撮ると躍動音を感じてしまう。
・・・伝わるか?これ
画像や絵から音を感じるって無いかなぁ。
そういえばそんな会話を俗世の方としたことがない。
昔々に物書き書生をやっていたころ、友人の文を読んだ感想を聞かれて「読みやすいけどリズムが単調でイマイチ」って言ったら「え?」「文章でリズムってなに?」と問われて、あぁ文章にリズムの有無は通じないんだと自分の感覚が世間とズレがあることに気がついたことが未だに気がかりだったりする。
写真からの音感覚も、もしかするとその「私と世間との意識ズレ」なのかも・・・。
私の大好きな「マンガ」で音を鳴らす行為をよく見る。
音がしないはずのマンガから音を感じることはないだろうか?
擬音で表現する方法「ドッカァァァッァアーン(爆発)」とか「っシュッ(かわす)」をフォントの工夫で表現する。
オノマトペで表現する方法「トコトコ」とか「ハラハラ」などなど。
その中でも絵から音を表現する最難関は「音楽を表現する」
これが色々な作者が「素晴らしい音楽を奏でる絵」を書いている。
私はこれを見比べるのが大好きで音楽マンガが大好きだ。
古くは「TOY」「NANA」は音を切り出すより個の存在で音を出す。
「BECK」は観客の盛り上がりでスゴイ音楽を表現するのがうまかった。
「日々ロック」は物語に寄り添った手書き太字歌詞で泥くさい音楽を奏でる。
「BLUE GIANT」は音そのものではなく、その音に出会った人々の人生で音楽を奏でる。
「SHIORI EXPERIENCE ジミなわたしとヘンなおじさん」は音にあったド派手な場面に変更することで音楽を表現するのがスゴイ。
まだ全部は読んではいないのですが「ロックは淑女の嗜みでして」はどのような音楽表現なのだろうか?と、とても楽しみで読んだが、伏せ字やモザイクが多くてタイトルの淑女とのギャップが凄くて音楽どころじゃない・・・。
「イ◯ポ野郎!」とか中指立てたりとか、演奏終了後に毎回罵りあうバンドメンバー(お嬢様たち)。
あ!これはお嬢様達が奏でる演奏の荒々しさや激しさを演奏前のお嬢様→演奏中の絵→終わった後の喧嘩で表現しているのか!スゴイ!新しい!
とても感動した。
そういう「マンガで音楽を楽しむ」をしている私はやはり世間とはかけ離れている気がする。
同じような楽しみ方のヒトがいたら注意である。
世の中では変態扱いかもしれない。