ダダダダ

あれ、ダダダダぁーと、それであれがこれでな!でこうよ。

向上心の塊な自分がもう一人別に居ませんか?(心のなかに)

秋になったなぁと思うゴチャゴチャカオスな雲を見て思う。

 

こらっ!

心の中は自分だけが見られる日記に書けやっ!

そう思っていた時期も私にもありました。

でもでもでもでもでもでも×100ですよ。

この世の中に溢れに溢れまくっている文字の海の中に『ヲッサンが貯めている心の中を吐き出す』をしたところでなにを恥に思うのか?

全裸で生活していても特に問題ないと思っている私ですので警察機関の方!「やばい奴がいますよ~」って思われようが逮捕されなければやっちゃっている可能性が私にはあ、ある!

 

いつも心のなかに鎮座しているんです。

いつも心の中にあるものがあるんです。

いつも心のどこかに引っかかっているものがあるんです。

いつも心のなかに潜んでいるもう一人の私がいつも囁(ささや)いてくるのですが、実行出来ないものがあって、それは『kuro2.0』になりたいなぁってことなんですよ。

意味不明ですよね。

 

今の自分に満足して良いのか?

10年後の自分にこの生活を届けていいのか?

なにか、プラスになることをする必要があるよね?

そんな向上心の塊な自分がもう一人別にいて「あれしろ」「これしろ」と心の中で囁くんです。

たとえば「ポテチばっかり食べてると太ってしまうぞ」とか

たとえば「このままワガママボディーで生きてくの?」とか

たとえば「そのいつも続けている行為は未来になにを残すの?」とか

 

他のヒトはどうなんだろうか?

そういう心の中に居るウルサイ自分と戦っているのかしら?

もしくはそのまま実行しているのかしら?

正直、私は実行出来ていません。

 

昔見た映画のセリフで

「私にはいつも正しい道が見えていた。しかしそれを選ばなかった・・・何故か?それは正しい道はいつも困難で茨の道であったからだ。今、まだ若く幼い彼は正しい道を選ぼうとしている。大人から見ると困難な道だ。だがそれを応援しない大人達、邪魔をする大人達、お前らみたいな正しい道を選ばなかった大人には止める権利は無いっ!」

 

思春期に見た映画、題名も覚えていない映画、しかし心にセリフが残っている映画、このセリフを言われたことがヲッサンになっても別の自分を心に作っている気がする。

ヲッサンの記憶力なので映画のセリフとしては正確ではないが、年月を重ねた私にはこう変換されている。

 

そんなことは解決するのは簡単だろ?実行すれば良い。

そ、そんな簡単じゃないんです~。

誰かに突き動かされ、誰かに影響を受けて、心に刻み込まれて、実行して、継続して、習慣になって、人生が変わる。

わかる、わかりますよ。そんな正論なんて知ってますよ。

ただ実行となると難しいんです。

 

私の心の中に居るもう一人の自分よ

そんなに正しい道ばかり命令するな

とても困難で険しい道を歩けと言うな

 

俺はポテチとコーラ食ってゴロゴロしていたいんだー!!!

 

文字という単なる記号に意味を持たせたもので

単体では意味をなさない「あ」「い」「う」「え」「を」なんて記号の羅列でヒトを救い、ヒトを導き、ヒトを信じさせ、ヒトを纏め、ヒトを傷つけ、ヒトを苦しめる。

単なる記号で人生に影響がある。

文字や言葉の恐ろしさたるや、数十年前に聞いたり見たりした言葉や文字の羅列が未だに自分の中に存在している。

 

たぶん軽くSNSやブログやらで発信しているヒトは気がついていないんですよ。

簡単に、軽い気分で書いたり発言したりする行為がどれほどの意味を持つのか?

 

全てのものはその瞬間以外は過去になる。

昨日の自分は今日とは違うし、昨日の君も今日とは違う。

目に見える全てのものは見た瞬間から過去になる。

ただ文字や記号(写真)はその過去を固着し鮮明に未来に届けようとする。

全ては過去のハズなのに、その過去を鮮明に残す。

過去の記憶はどんどん変化する。

でも文字や写真は「現在から過去を見る」になる。

 

そんな私の中にもう一人の真面目な自分を作った映画が思い出せない。

誰が出ていたのかすら思い出せない。

どんな内容だったのかも思い出せない。

その映画をもう一度見たら「自分の考える正しい道」を選択出来るのだろうか?