私が小さかった頃
小学校までの道のりはグランドを挟んですぐ近くに住んでいた私には短距離で、遅刻ギリギリに起きても5分もあれば間に合う距離だった。
ただそれはグラウンドを横切ったらの話であり、グラウンドを通学路と使用することは禁止されていた。
わざわざ交通量の多い道路まで出て遠回りのような形で通学する。
もちろん通学路なのでちゃんとした歩道が整備されていて子どもが2列で歩いても問題ないぐらいの幅がある歩道を通って学校へ通っていた。
歩道と車道の間には縁石のかわりに細長い花壇があった。
花壇にはその季節ごとの花が植えられて通学路を鮮やかに飾っていた。
子供とは残酷なもので、そんなきれいな花など興味も無く、ただ「咲いている」という意識しか無かった。
ふざけて友人と花壇に足を踏み入れても気になどしなかった。
子どもの頃には気が付かなかった。
誰かがそれを世話をし、意図があって、思いがあって、願いがあることを。
誰が植えたり、世話をしていたのだろうか?
用務員の方だったのだろうか?
賃金をもらって花を植えていたのだろうか?
もしかすると通学路でお子さんを亡くした親が「こんなことは二度と起こらないように・・・」と願いを込めて四季ごとに植えていたのだろうか?
今は縁石に変わってしまったその道にはもう花は咲いていない。
花なんて要らない、縁石で十分。
子供の頃であればそう思って気にも止めなかっただろう。
その花の意味を理解して「無意味ではない」と思える。
その花を植え、育てるという労力は無駄ではなく価値の有るものだと思える。
そう思えるのが大人になるということなのかも知れない。
てなことを、ヲッサンになってリカちゃん人形買っている私が思う。