庭ですね。
なんの変哲もない「足立美術館の庭」です。
なにも無いかと思って、自分の気持を掘り起こしていたら、突然湧いてきて書き始めるというのを、昨日で始めて実感した気がします。
なにも無いなんて無い。
庭って何も無いんですよ。
なにっ?て庭だから
でも庭から得るものがあるかどうかを掘り下げることが、一番庭を理解できる近道だなぁと。
なに言ってんだって話です。
私は人と関わりを持つ時に思っていることがあります。
「なにかを盗もう」
え、泥棒とかでは無いんですよ。
例えば3月ぐらいにお酒を飲みに行った時
接客してくれた女性が「小説書いてます」と言った。
それでこのブログを書き始めた。
そんな経緯があったりします。
人と出会った時にその人から影響を受けるなにかを自分で考える。
ん?
わかりそうで、わかりずらい。
例えば、例えばですが「物凄く筋トレが好きな人」と出会ったら、どういった所が好きなのか?どんな動機で初めているのか?継続するにはどうしているのか?
そういったことを聞いて、自分の糧にしている。
でも、その糧にしているものは「筋トレをする」になるとは限らないんです。
考え方ですよね。
まず「好き」は「承認欲求」や「変化する」とか「欲望を叶える」とか
物事を「好き」といえることに繋がる動機があって、それを続ける方法があって、結果として結びつきます。
その結果より過程が好きなんですよね。
ムキムキの筋肉には興味が無いんです。
ムキムキになるに至ったキッカケ、続けるこつ、モチベーション、ハプニング、挫折、成功までのそんな一人の人間のストーリーが好きなんです。
その物語を思い描けると「盗めた」と思えたりします。
その物語が光り輝くものだと、直で影響を受けたりするんです。
その相手の良いところも「盗める」とメチャメチャ見えたりします。
一人の人間、一つの庭を完成形と捉えた時に、そこまでのドラマを思い描く。
実践するとわかりますが、めちゃくちゃ「うざっ」って反応されるときもあります。
逆にめちゃくちゃ慕ってくれる時もある。
相手の感情なんてどうでも良いんです。
自己満足なので・・・。
と、なんの変哲もない「足立美術館の庭」の写真を見て思ったのでした。