写真家の先輩に言われました「竹は額縁」
前にも同じような文章を書いた気がしますが、竹があまりに見事すぎるのとメインの被写体が小さすぎるので竹の圧倒的存在感が半端ないですが、決して写真家の先輩をディスっている訳ではなく「マニアルがあると逆らう性質」が私にあるからなのだとこの頃特に思う。
マニアルを出されると、その抜け道を探す。
先生に教えられたものは疑ってかかる。
なにも信じず己を信じる。
おぉ、カッコいい。
大切ですよね。そういう反骨心といいますか、反逆精神。
ルールは破るもの
ルールはアホなやつがアホなことをしないようにするもの。
皆が良心があり賢ければルールなんていらない。
細かい決め事や些細なことを文章に書いて説明する必要が無い。
そういった考えが根本にあるのではないか?
私の中にそういった危険分子の概念が少なからず存在するのではないか?
社会人としてあまりにも危険な考えではある。
それは把握している。
ただルールをぶち破ってなにかから脱した時の恐ろしい歓喜を一度味わってしまうと、マニアル通りに動く自分がつまらなく感じてしまう。
そんな危険なことを竹藪写真で考えさせられる。