なんでしょうか、夏の暑さで頭がおかしくなっているのでしょうか、兎に角なにも考えたく無いなぁと、夏の大きな雲をぼーっと見つめていたのでした。
そんな私の脳内にこの曲「世界が回る」がエンドレスで流れ始めました。
恐ろしく軽い曲
恐ろしく意味の有無がわからない
恐ろしく頭を回したくなる。
争ったり、悩んでたり、落ち込んだり、考えたり、憎んだり、愛したり、求められたかったり、生きたり、死んだりさ、そんな難しい話がまわりに氾濫している。
あー面倒くさい
あークダラナイ
あー何も考えたくない
頭を回す。
頭を回すと世界が回るんです。自分中心に世界が回るんです。
どうでも良くなって、どうでも良い世界で、どうでも良いはずの世界の中心で
自分中心に回っている世界
なにも考えたくない
そんなときにおすすめです。
「頭を回すと世界が回る、自分中心に世界が回る」
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私は兄よりかなり年上になりました。
兄はバイク事故で他界して10数年
今日は兄の命日です。
兄はどんなヒトだったか?今では美化されていますが、正直「鬼畜」でしたね。
兄の読む本に影響され、兄の聞く音楽に夢中になり、兄の生き方を見て自分が歩んだ気がします。
私もそうなのですが、兄も『ロジカル思考』といいますか、順序だてて計画を練って実行して失敗して反省して次に向かう勇気を削ぎ落とされる。
そんな性格でした。
勉学や仕事とかはロジカルに動いて良いと思うんです。
人間関係に対してもロジカルであり、情を一切感じさせないドライなヒトだった印象があります。
そして多趣味でお金と美的外観に無頓着で、臆病なのに危険なことが好きで、笑える内容なら傷つけることや犯罪すら許容する、一人で居るのが好きなのに寂しがりやという
書いてて嫌気がさすほど面倒くさいヒトでした。
全部自分に向けて書いている気がするほど私と似ています。
吐き気がしてきます。
兄を嫌いでした。
自分の将来を見ているようで嫌いでした。
兄のようにならない。
そう思いながら人生を歩んできたと思います。
ただ、兄の悪いところを修正して歩いてきたのではなく「本当の自分を隠しながら生きてきた」が正しい気がします。
本性は兄と同じだな。
ただ装って生きている。
たまにそんな自分にすごく疲れる。
そんな時に聞きます『世界が回る』
何も考えるな、あるがままに、自分中心で良いんだ。
そう励まされている。
そんな気がするのです。
兄の命日は忘れていました。
ただ突然「世界が回る」が頭の中に流れ、そしてここに文章を書きだしたら突然思い出しました。
あぁ私は兄の命日に兄のようになりたくないと演じている自分にほとほと嫌気がさしているんだなぁ。
今は亡き兄に言われた気がします。
「おまえ面倒くさいんじゃ、頭を回して世界の中心になれ」