ダダダダ

あれ、ダダダダぁーと、それであれがこれでな!でこうよ。

未来の予定

open.spotify.com

未来に予定がある、誰かと予定を約束したということは

その日まで生きていて良いという約束

何にも必要とされない無価値な存在だと思っていたヒトに「そこまで生きていていいよ!」と確証をくれる。

もし廻りに生きていく意味を見失ってしまって自分の存在を肯定出来ないヒトが居たならば、そのヒトに予定を提供すれば良い。

もちろん断ってくるかも知れない。

断られても、来なかったとしても「救いたい」と思ったヒトには予定を入れてあげれば良い。

 

もし誕生日を祝ったのなら

「来年も祝ってやるわ」と一言

 

その一言で誰かを一年間は救える可能性がある。

精神的に病んでいるヒトは廻りから「病気」と認識されにくい。

なにもかもに絶望していても、大体のヒトは廻りにはあまり見せないものである。

救ったところで相手にとって幸せか?

そんな考えもあるかと思う。

でも相手では無いんです。自分が後悔しないようにすべきなんです。

あの時、声をかけてあげられたら・・・

そう、一生引きずる自分を救うんです。

そんな自分をまずは救うために相手に声をかける

もちろん心から生きていて欲しい数少ない友人だったら尚更そうすべきだった。

27歳のときに友人を自死で失った時に思った

あぁ予定と居場所さえあれば・・・こんなに心に傷を負うこともなかったのに。

 

全部自分事ではある。

 

ただ無責任に私の前から居なくなるのが許せない

なにか少しでもヒントをくれたら助けられたのかも知れない

友人の死も私の心傷も救えたからも知れない。

 

そんな気持ちがあるので私は絶対に誘われた事柄を断らない。

どんなに興味が無いものであっても、値段が少々高くても、どんなに忙しくても

なにか私の人生に生きる意味を与えてくれるような気がするから。

 

ただ私には誘う勇気は無い。

他人の人生に干渉する勇気が無い

他人の時間に割り込む勇気が無い

他人に自分を合わせられるのが大嫌いである。

そんな自分が大嫌いである。

 

そして私には「これは楽しいよ!」というポリシーというか確証が無い。

他人と楽しいことと時間と場所を共有することを恐れている。

 

ただ命、生きている意味を見出だせるのであれば「未来に予定がある」と言いたい。

 

言わせたい。

 

てことで、誘えるだけ誘って三連休は道後温泉行ってきます。