ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
この画像で不快になった方がいたら、ごめんなさい。
しかしだ!貼らずにはこの人の生き様を語れないだろうと、それにアクセス数の少ない誰も見ていないここなら許されるであろうと思って容赦なく貼る。
BANすんなーHatena!
昨日「ゼルダを力尽きるまでやる」と宣言しておいて、やっていません。
上岡龍太郎さんの訃報(ふほう)を聞いて、一日中上岡龍太郎さん見てました!
漫画トリオの漫才も探偵ナイトスクープもパペポも全部インターネットで見られるんですよ。
あー、一日中見ていました。
恐ろしい方ですね。
タイトルに書いたのですが、芸人として凄いスキルが満載です。
そして、これが最高傑作だと思います。
リズムよく流れるような語り口
シナリオがあり、笑いがあり、涙があり、感動がある。
芸人としてのスキル全てを亡き相方の弔事(ちょうじ)にぶつける。
芸人として生きた人間が5分話すとこんなに凄いのかと、泣いてしまいました。
確かにみんなを笑顔にするスキルや大爆笑を取れるスキルはこの方単体には無いです。
ただ、底の部分に『芸が染み付いている』ので、この人の上に乗った人を抜群の安定感で支え、引き出し、光らせます。
そしてバラエティーをちょっとだけ『芸』に変更するチカラがあります。
私はあまりバラエティーを見ないですし、テレビを見ない私ですが、家族が見ているバラエティー番組を見ている時に思ったのは「笑わせるではなく、笑われるだなぁ」と。
素人のハプニングとプロの方が真剣になにかに挑んで笑われる。
『芸』はあまり無いんです。
いやいや芸は無くて良いんです。
お茶の間に笑いを届けるのは同義の行為であると思います。
ただ上岡龍太郎さんが入るだけで単なる笑われるから演芸になる感じがします。
シナリオが決められて、稽古をして完璧にし、プロとして出せるものを出し、起承転結がはっきりした『芸』が繰り広げられている錯覚に陥ります。
『生でお客さんに届ける』で磨かれたスキルなのでしょう。
やり直しがきかない、一度離れたお客さんを呼び戻すのは不可能に近いですからね。
時代によってあり方は変わっていきます。音楽一つ取ってみても『ナマで聞きに行く』→『買って聞く』になったように、演芸も『見に行く』から『TVで自宅で見る』になり、それが定着した。
足を運んでくださった方々に『演芸』を『お笑い』を届ける。
失敗は許されない。
そんなプロのチカラを見せつけてくれた上岡龍太郎さん。
ありがとうございました。